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1966年型 タイプ1コンバーチブルがある父子の夢をのせてドイツに帰る No.5

2021/02/04

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父子の想いをのせて、ドイツへの旅立ち

翌朝、廣野さんはタイプ1コンバーチブルとの最後のドライブに出掛けた。妻とふたりの息子たちを伴って、大阪の自宅から積み出し港である愛知県の豊橋までの約250km。港に入ったら登録抹消手続きを行ってしまうので、日本の路上を走ることはもうない。数か月後には、54年前に生まれたドイツ・ウォルフスブルクの地に舞い戻り、フォルクスワーゲンのミュージアムに展示されることになっている。

「父は35年前に出掛けたドイツ視察旅行でフォルクスワーゲンやメルセデスベンツの博物館を見学していました。帰国後に、“このクルマも、いつか里帰りさせてやることができたなら幸せやろうなぁ”と口癖のように語っていました」
ただ、具体的な手立てがあったわけではない。廣野さんは最初にドイツ領事館に問い合わせたが断られた。次にフォルクスワーゲンに問い合わせてみたところ、ウォルフスブルクの本社ミュージアムが興味を示し、シャシーナンバーや撮影した画像を送ったりして、やり取りが続き、ついにこの日を迎えることができた。
「父の願いを、どうしたら実現できるのか? どうしたら、このクルマを次の世代に引き継いでもらえるのか? 私もいろいろと調べ、考えました」
息子ふたりはタイプ1コンバーチブルも運転できるように、AT限定ではない運転免許を取らせた。クルマは好きで自分のクルマも持っているが、彼らにはタイプ1コンバーチブルはそれこそ博物館級の“クラシックカー”に思えてしまい、自分のこととして考えられなかったようだ。

「日本国内にも立派な自動車博物館はたくさんありますが、このクルマがふさわしいのはドイツの博物館、やはりそれもフォルクスワーゲンの博物館しかないのではないかと思い至ったわけです」
天候にも恵まれ、渋滞にも巻き込まれず、予定通り250kmを4時間あまりで走り切り、豊橋市のフォルクスワーゲン グループ ジャパンに到着した。海に面した敷地の一角が広大なPDIセンターになっており、日本に輸出されてきたフォルクスワーゲンやアウディ、ポルシェ、ベントレーなどが陸揚げされ、納車前の検査が行われている。
タイプ1コンバーチブルは、ここからドイツに戻る船に載せられ、太平洋、南シナ海、インド洋、スエズ運河を通って、ドイツのブレーマーハーフェン港まで運ばれていく。

 タイプ1コンバーチブルがゲートをくぐり、建物の角を曲がると多くの従業員が出迎えてくれた。なんと、その中心で花束を抱えているのは、フォルクスワーゲン グループ ジャパン社長のティル・シェア氏ではないか。どうやら、サプライズ歓迎セレモニーらしい。
「フォルクスワーゲンで働き始めてから、今日ほど感激したことはありません。よく、ここまで乗り続けてくれました。重ねてお礼を申し上げます」

廣野さんも万感迫るようだ。
「父は10年前に突然の心臓発作で亡くなったので、このクルマがドイツに帰ることはもちろん知りませんでした。でも、父の最後の望みでしたから、きっと喜んでくれていることでしょう」
その場に集まったVGJの従業員たちから大きな拍手が送られた。キーと登録書類一式をシェア社長に渡すと、廣野さん一家は清々しい表情でVGJを後にした。

奇跡のような2日間だった。終戦後の耐乏期のドイツ製スパナに端を発する元吉さんの物語がタイプ1コンバーチブルに結実し、また、ドイツに戻っていく。
「モノには、それを造った人の魂が込められている」
元吉さんの想いは力強く、永遠に響いていくことだろう。タイプ1コンバーチブルは、廣野さん父子の想いが載せられてドイツに還っていく。

 

終わり

 


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