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1966年型 タイプ1コンバーチブルがある父子の夢をのせてドイツに帰る No.3

2021/01/21

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寄贈してくださった
廣野さんたちの想い

会社に到着した。3年前に、大阪湾に近かったところから高台に移転してきた。ここなら津波や台風の心配がない。モダンなデザインのオフィス棟とそれに連なる工場棟は廣野さん自身が設計し、地元の各分野の専門業者に施工してもらった。

玄関前には、創立者である祖父の胸像が建てられ、入り口の屋根を支える柱の根本にはHIRONOと記されたスパナを模したモニュメントが横たわっている。

「これですか!?」
電話で伺った創業時のエピソードが具体的な形となっていた。
「ええ。ここに移転してきた時に、若い従業員たちが造りました。これを、ちょうど祖父がいつも見守っているというかたちとなっています」
廣野鐵工所が創業した終戦直後は、大阪だけでなく日本中が極度の耐乏状態にあった。工場はアメリカ空軍の爆撃によって破壊され、焼け残ったものを工夫しながら戦後の時代が始まっていった。
「当時は、空襲で焼かれた工場の設備の中から、使えそうなものを役所が競売に掛けていました。祖父と父は工作機械を入手し、修理して復元し、仕事を始めたそうです」

空襲で焼けた工作機械なので、とてもそのままでは使えない。分解、清掃し、各部を研磨し、部品を入れ替えて組み立て直し、調整を繰り返して、初めて稼働できるようになる。それらに必要な部品や工具、油脂類なども絶対的に不足しているから、簡単にできる話ではない。
「焼けたボルトやナットなどが緩まず、無理に力を込めるとスパナが折れたり、変形してしまっていたそうです。“そういう場合は、ドイツ製のスパナを使えば良い”と知り合いの職人さんから教わり、扱い業者を探し出して大枚叩いて購入し、その甲斐あって解決しました。“ドイツの工具はスゴい”と、子供の頃から何度も聞かされました」
そのようにして工作機械を整え、廣野さんの祖父と父は金属加工の仕事を少しづつ拡げていった。だから、そのドイツ製スパナは今日の廣野鐵工所の礎を一番最初に築くキッカケとなった、決して忘れることのできない大切なものなのである。

 玄関ホールには、創業の頃の機械類がたくさん並べられていた。使われなくなった機械も廃棄せずに保存していたのも、元吉さんの強い意向だ。
「工作機械だけじゃないんですよ」
応接室には、使われなくなった昔のタイプライターが何台も整然と陳列されていた。
「父は、“モノには、それを造った人の魂が込められている。だから、壊れたり使わなくなったからといって、すぐに捨ててはいけない”という信念を持っていました。だから、こうしたタイプライターや下でお見せした機械のような道具類は、特に大切にしていました」
元吉さんに限らず、戦中戦後の欠乏時代に苦労した経験を持つ日本人たちはモノを疎かにしなかった。ましてや、生産に携わる機械などはなおさらだろう。

NO.4へ続く


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